閃きの独り言

✨感性のまま✨繫るまま✨気付きのまま✨

スピリチュアルと人間性は別物

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2020.9.26 志高湖

 

💠

 

今日は、

 

スピリチュアルについて普段から思っている事を書いてみようと思います。

 

旧年来の友人から電話が入りました。

 

お母さん(実母)の様子がおかしくなり、

ある霊能者にお願いして憑いていた存在を取ってもらい落ち着いたが、

今度は『自分が誰か分からない』と、それまでとは違うおかしな事を言い出したと。

 

輩達はお母さんの魂を覆うように取巻いているように見えました。

 

私は【本人が対応する】というのを基本スタンスにしています。
私が勝手に対応する事はしません。

 

全てシフティングで、ご本人に必要な対応を確認しながら行うのですが、

友人はシフティングに誘導してもできませんでしたのでこちらで対応しました。

 

『普通に会話が出来るようになった』と連絡が入りました。

 

このようなケースに立ち合うのは初めてだったのですが、
上手くいったみたいで良かったです。

 

友人は、その霊能者に対する違和感を話してくれました。

私は、私が感じる事をストレートに友人に伝えたら納得していました。

 

私個人は、

 

スピリチュアル
霊能

 

それを扱う者には責任があると思っています。

 

どのようなスタンスで、見えない世界や存在に向き合うか

 

依頼者に対して、

私がなんとかしましょう…か、

私を通して貴方が気付きましょう…か、

この差は大きい。

 

それと、嘘がない事。

 

スピリチュアルな能力=人間性人間力ではありません。

 

ここの捉え方を違えるから、スピリチュアルはおかしな方向へ向かう事が多いのです。

 

例えるなら

腕の良い医者が、必ずしも人間的に優れているわけじゃない

これと同じ事。

 

誤解を恐れず書けば
スピリチュアル的である事が、人間性を阻害している事も大いにありうる。

 

受ける側にそれを見極める眼力が必要です。

 

友人とそんな話しをしました。

目の前の問題は、自分でしか解けない問題です。

目の前の困難は、自分で超えるしか無い。

 

問題が難解で、困難が厳しいと、
見える人に手放しで救って欲しくなる。

それが人間。私もそうです。

 

でも、

人間は、自分の事は自分でしか救えない

けれど

自分の事は自分では見えない(対応できない)ようになっている

と思うのです。

 

人間って因果なものです。

 

自分が気付くためか、
なんとかしてもらうためか、

 

私がなんとかしましょうか、
貴方が気付くために情報を伝えるか、

 

受けても、伝えても
向き合うスタンスを問われます。

 

少し深掘りするなら、

その意味で…

 

情報(過去世などの)も、
エネルギーも、
風水も、

その補佐でしかない。

 

どう捉え、どう扱うかは

 

自分がいかに気付き、それらを活かすか

の、補佐でしかないと思っています。