閃きの独り言

✨感性のまま✨繫るまま✨気付きのまま✨

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2020.9.3 満月🌕

 

🌸

 

このブログは

見えない世界からの依頼による妄想覚書

日々の気付き等々…

魂のしくみ視点で徒然に書いています。

 

見えない世界は実証できません。

個人の感性の世界として、楽しんで頂けたらと思います。

 

🌸

 

Facebookに投稿したものを転載します。

 

私は巫女体質対応セッションしかしていませんが、

 

金子先生とのツインセッションも…

(こちらは今はお休みしています)

 

スピリチュアルなセッションって

こんなものではないか?って、

普段考えている事を書いてみました。

 

🌸

 

 

【鏡①】2020.9.4

 

基本的に

セッションは鏡を見るようなものだと思っています。

 

自分が負ったエネルギーは自分で解くのが基本。

誰も代わり解けません。

 

自分が負ってきた思い残しのエネルギーを、客観的に見るのは難しいものです。

 

自分の顔や声は、自分で客観的に見られず聞こえないのと同じように、、。

 

スピリチュアルセッションは

 

他人に、

自分では見にくい思い残しのはエネルギー(負ってきたエネルギー)を見せてもらう。

 

つまり、

鏡に写すようなものでは?

 

自分では見にくいエネルギーを映して見る。

 

それをどう捉えどう活かすかは、本人次第になる。

落とし込むのは自分がやるしかない。

 

クライアントさんには、そのスタンスを押さえる必要があるし、

行う者にも、クライアントさん以上にそのスタンスが必要でしょう。

 

自分を救うのは、自分でしかない。

そんなものではないでしょうか?

 

 

【鏡②】2020.9.5

 

叔母と母に

セッション?するタイミングを頂いた。

(叔母は母の妹になる、母は二人姉妹だ)

 

二人とも、それぞれに抱え、向き合い、懸命に生きてきた。

 

詳細を書くと一年はかかるので、書かないw笑笑😆

 

家・親族に関わる悩みを抱え、ここまで来た。

 

叔母には7月頃に、母には8月に入ってから繋がる流れとなった。

 

関わる親族を呼び出し、本人が質問して、その答えを本人が聞くという 

シフティングを用いてのセッションだ。

 

先に書いたが、

【セッションは鏡】

 

情報は鏡に映った自分だ。

 

鏡に写された自分を見るか?見ないか。
写された情報を信じるか?信じないか。
落とし込んで、現実に活かすが否か…

自分にかかっている。

 

鏡を持つ者は、鏡を見せることしか出来ない。

 

鏡を磨いてしっかり見るか
はたまた鏡を割るか自由だろう。

 

叔母は、スピ的な人なので、説明せずともすんなり入った。

 

母は、そうではない人なので、
情報に繋がる事は、鏡を持つ人間がそれを解消してくれるものだと…ありがちな解釈しかしておらず、

 

『たとえ親子でも代わりにはなれない。情報を写して見せてあげる事ができても、代わりに解いてあげる事はできない』

 

と…コンコンと説明した。

 

母は…

少し悲しそうな顔をして
『切ないね』と言っていた。

 

悲しいけど、それは皆んな同じ、
人間は皆んな同じ、と話した。

 

それでも、かなり深い情報に入る事が出来た。

 

母は、呼び出した親族に質問し、
その反応を感じ、納得していた。

長く向き合ってきたからこそだろう。

 

鏡に映る情報をどう見るか?は自分次第。

 

それに、

自分の器に入る量しか受け取れないように感じる。

 

自分の器を片付け、綺麗にし…その器の容量に入るだけしか受け取れない…

 

というのは少しキツイ表現だと思うが、そんなもののように感じる。

 

死を間近に感じる年齢になった。
思い残しなく生きたいと思っているのだと思う。

 

かなりな頑固者で、スピリチュアルは分からない人だ。

否定もしないが、肯定もしない。

 

だが、今回は繋がった情報に納得していた。

 

《あの母が》だ。

あの母が納得している事に、かなり驚くと同時に嬉しかった。
ハートが軽くなった。

 

どんな事も、自分だ。

自分の中で落ちることが一番大切。
自分でしか解けないから…。

 

母には最後にこう伝えた。

『ここまでの情報に繋がっても、人は簡単じゃない…』

と。

 

でも、

《気付ける》

それだけでいいんじゃないかな?と、

そんなことを会話した。

 

人間関係の過去世からの遺恨の解消は簡単ではないケースが多々ある

 

でも、それに向き合う者は
必ずや答えを掴めるのだと思う。

 

答えはどんな形でも良いのではないだろうか?

自分の中で落ちればいい。
他人は関係ない。

 

それは自分にしかできない

 

…と思う。